【楽に生きる方法】楽することは悪いことじゃない|精神科女医の考え方

ゆき
ゆき

精神科医のゆきです

「楽をする」って聞くとどんなイメージを持ちますか?

「楽に生きる」とインターネットで調べると「楽に生きる方法」が色々と出てきますね。

「人と比べない」とか「執着しない」とか「頑張りすぎない」などなど楽に生きるための考え方を書いている記事が多いようです。

今回はちょっと違う観点から、「楽」ということについて日頃私が考えていることをまとめてみます。

そもそも「楽」に対するイメージは?

そもそも「楽」という言葉に対してどんなイメージを持っていますか?

診察の場面で「楽に考えてみましょう」「楽な方法をとってみましょう」と提案すると、少し躊躇する方が多い印象を受けます。なんだか申し訳ないような表情で「いいんでしょうか?」と聞いてくる方が多いんです。

「楽しい」だと、なんだかうきうきわくわく気持よく明るい気分みたいなイメージですが、「楽をする」とか「楽に生きる」と聞くと反射的に「怠ける」とか「手を抜く」みたいなネガティブなイメージを持ってしまう方が多いようです。だから(そんなにことして本当にいいのかな…)と戸惑うわけです。

「楽に生きる」にはまず「楽という言葉に対してのネガティブなイメージをなくすこと」が大事じゃないかなと思います。

「楽」という言葉の本来の意味

「楽(ラク)」を広辞苑で調べてみると「身体や精神に負担がかからないで、安らかであること」と出てきます。

WHOの健康の定義である「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」を一文字でほぼ表したような素敵な漢字だなぁと私は思います。

「心身ともに健康」である状態が「楽」という状態なので、悪いことではないと思いませんか?

自分自身の心と体の健康のために「楽をする」ことは必要なことなんです。

楽に生きるために…しんどい状況への対処法

気持ちが疲れていると視野が狭くなってしまいます。

真面目な人ほどしんどい状況でも(できない自分が悪い…)とか(他の人はできているんだからもっと自分も頑張らないと…)とか(この状況からは逃れられないから仕方がない…)考えてしまいがちですが、同じやり方を続けていても、同じ状況にとどまっていても、どんどんしんどくなるだけです。

視野が狭くなるほど疲れる前に、考えることが重要になってきます。

私は自分がなんだか疲れているなと感じた時は「どう考えれば心が楽になるだろう?」や「どうすれば体が楽になるだろう?」とちょっと立ち止まって考えるようにしています。

状況が変わっていなくても考え方を変えれば心が軽くなる事もあります。

コップに半分水が入っている状況を見て「半分入っている」と思うか「半分空である」と思うかのドラッカーのコップの水理論みたいなものですね。

精神科的には認知行動療法という精神療法と同じ事です。気持ちが辛い時に自分の頭の中に浮かぶ考え(自動思考)を見直し、認知(捉え方)の偏りを修正していく方法です。

考え方だけでなく、そもそもの量的な負担で体がしんどい時は1人で抱え込まずに誰かに手伝ってもらうことも必要です。(自分だけでやった方が早い…)場合は本当に多いんですが、長期間続く事であれば必ず無理が生じます。

仕事においても勿論そうですが、家事や育児、介護などの場合にも1人で抱えきれない量を抱えて疲弊している方が多い印象です。誰かに助けを求める、人の手を借りるということも自分を楽にするための大切な方法です。

それでも自分に足りない部分をどうするか

それでも自分じゃどうしようもない壁にぶつかった時に私には思い出す言葉があります。

私が小学校の時に叔母からもらった本に書いてあった忘れられないワンフレーズです。

「人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。」

司馬遼太郎が小学生向けに国語の教科書に書いた「洪庵のたいまつ」の一部分です。

「二十一世紀に生きる君たちへ 」の本に併載されています。

【中古】二十一世紀に生きる君たちへ /世界文化社/司馬遼太郎(単行本)

武士の子として生まれたものの、病弱だった緒方洪庵が「人間が健康であったり、健康でなかったり、また病気をしたりするということは、いったい何に原因するのか。さらには、人体というのはどういう仕組みになっているのだろう、というようなことを考え込んだ。」結果、蘭方医を目指すというものでした。

これを読んで医師を志したとかだと、なんだか素敵なエピソードですが…違うんです。

当時の私はたぶんこの一文を読んでホッとしたんだと思います。自分自身の「人並みでない部分」はコンプレックスに感じて隠したり目を背けたりするものですが、それを「すばらしいこと」と肯定して、「どうすればいいんだろう」と「考えるばね」にすればいいんだと。

最近は「親ガチャ」なんて言葉がメディアで取り上げらているようですが、生まれ落ちた家庭環境や生まれもった能力など、自分じゃどうしようもできない足りない部分も、今すぐにはどうにかできなくても、どうすればいいかと自分が考える力になる。そう考えれば、自分の足りない部分も悪くはないなと私は思えました。

自分以外の人の「人並みでない部分」に対しても、がっかりしたり、バカにしたりする人はいますが、自分に対してと同様に「どうすればいいんだろう」と考えられるといいなと思います。

まとめ

医師というと「患者を治す」と思われますが、精神科医だからか、まだ自信がないからなのか、私は何となく前から「患者を治す」と自分が言うのはおこがましいと思ってしまいます。「患者を治すのを手助けしている」くらいのイメージです。

薬も処方しますし、精神療法も勿論おこないます。病気にもよりますし、その時のレベルにもよりますが、早めに来て頂けると潜在的に持っている患者さん自身の治す力を少し引き出すだけで良くなる場合も結構あります。

今回この記事を書きながら、精神科医という仕事は、「患者さんと一緒にどうすれば楽になるかを考えていく仕事」と言えばいいのかなぁと思いました。ん〜ちょっとまだしっくりこない感じもありますが…

今回はこれくらいで。

どなたかの気持ちが少し楽になったら嬉しいです。

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