【コップの水理論】ドラッカーの英語原文から分かった事実|本来の意味とママ精神科医の考え方

ゆき
ゆき

上のコップに入っている水を見て皆さんはどう思いますか?

ドラッカーの「コップの水理論」についてなんとなく聞いたことはあるかなぁという方は多いと思います。

この前の【スリーグッドシングス】についてのブログで「コップの水理論」を少し引用した時に、そういや原文ってどんなんだろうと思って調べて読んでみると、今まで私が思っていた意味とちょっと違うようだったので、気になって詳しく調べてみました。興味のある方は良ければ読んでみてください。

そもそもドラッカーって誰?

Wikipediaの情報によると、ピーター・ファーディナンド・ドラッカーはウィーンで裕福なドイツ系ユダヤ人家庭に生まれた経営学者で、「マネジメント」の発明者です。

同じユダヤ人の心理学者ジークムント・フロイトと同時代に生きており、2人は親の紹介で知り合っているようです。

ドラッカー自身は心理学者ではありません。でも「コップの水理論」はドラッカーによるものとされ、世間ではコップに入った水を「『もう』と捉えるか『まだ』と捉えるか」の違いでネガティブ思考かポジティブ思考かというように、心理学的な意味合いで使うことが多いです。

現状は変わらなくても、見方を変えて『まだ半分ある』と考えて、ポジティブな感情を持とう!みたいな意味だと色んなブログでも紹介されているのですが…

ドラッカーは本当にそういった意味で言ったのでしょうか?

素敵な笑顔の写真を選びました

ドラッカーの『コップの水理論』本当の意味は?

ドラッカーは確かに「コップの水」の話をしていることはしています。

でも英語の原文を見ると、なんか受ける印象が違うんですよね。

“The glass is half-full” and “the glass is half-empty” are descriptions of the same phenomenon but have vastly different meanings.Changing a manager’s perception of a glass from half-full to half-empty opens up big innovation opportunities.

日本語訳が「『コップに半分入っている』と『コップが半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。『半分入っている』から『半分空である』に認識を変えるとき、大きなイノベーションの機会が生まれる。」

あれ?と思いませんか?

「コップに水が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる」なんです。『半分空である』に変わるときに技術革新の機会が生まれるということは、空である方に目を向けて、空の部分に何が足りないのか、何を入れようかと考えることが、未来の新たな可能性につながると言っているような印象を私は受けました。『半分空である』ことをネガティブな意味で言っているわけではないと思いませんか?

いずれにせよドラッカーの言葉には心理学的な意味というよりは、経営やマネジメント業界に向けた意味のある言葉だと思います。

本当は「水」ではなく「ワイン」?

それでは現在多くの人が捉えているような意味で言った人はいなかったのでしょうか?

調べてみるとノーベル文学賞を受賞したバーナード・ショーという人にたどり着きました。

彼はグラスに入っているワインを見て、下記のように言ったそうです。

The optimist says, “The glass is half full.”The pessimist says, “The glass is half empty.”The rationalist says, “This glass is twice as big as it needs to be.” 

日本語訳は『「ああ、もう半分しか残っていない」と嘆くのが悲観主義者。「お、まだ半分も残っているじゃないか」と喜ぶのが楽観主義者。「このグラスは必要な大きさの2倍ある」と言うのが合理主義者。』

バーナード・ショーが言った言葉の方が、現在よく使われているコップの水理論に近いですね。まぁ水ではなくワインだったわけですが…

映画やドラマとかでも”The glass is half full.”と英語圏ではポジティブの代名詞としてよく使っているようです。

まとめ&精神科女医の考え方

ポジティブかネガティブかコップの水理論でよく捉えられている意味で言っていたのは、ドラッカーではなくバーナード・ショーでした。

ちなみに私はコップに半分入っている水を見てどう思うかというと、状況によって捉え方や行動は変わります。

自分が喉が渇いていたら足りないと思うし、必要な水ならば手に入れるために努力するだろうし、調子が悪くて自分では満杯に出来ないのであれば誰かの助けを借りるし、半分でも必要以上であれば誰かにあげたり、よく考えたら半分のままでも十分だと無理せず現状維持に努める場合もあると思います。

その時の自分次第で「もう」にも「まだ」にもなるので、自分の状態を正しく把握してどう捉えてどう動くか、適度な臨機応変さというのが大事だと思います。

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